「やっと、あんたを捕まえに来れたんだ」
言われた言葉が何度もオレの頭の中で響く。
(捕まえに―――って…)
なんだよそれ。なんて言えない。
その言葉は、案にあの日の出来事を思い出させた。
あの日―――。
オレが高校卒業間近の、あの日の出来事。
「雅美!!」
バン!と勢いよくオレの部屋の扉を開けられた。
そこには、怒った表情でいて、何故か今にも泣きそうな顔をした鷹史がいた。
学校から帰ったばかりなのか、制服のままだった。
「お、鷹史?どーした?」
緊張感のないオレの返事に更に鷹史の表情は険しくなる。
「どうしたじゃないだろ!大学…県外ってほんと、かよ…?」
どこか、縋るような顔でオレを見つめてくる。
(だから、なんでんな泣きそうな顔すんの?)
オレは、コイツの表情の意味が分からなくて少し困惑する。
でも、事実は変わらないのでそのまま答える。
「ああ、ほんとだぜ。一人暮らししようって前から思ってたし」
「なんでだよ!俺…そんなの聞いてない!」
鷹史の眉間に皺が寄って、オレに少しづつ近づいてくる。
「聞いてない、って……だって、言ってないし…」
なんで鷹史はこんなに取り乱してるんだ?
そもそも、幼馴染だからって何で大学の行く場所まで教えなきゃいけないんだ?
「なぁ、一人暮らしなんてしなくていいじゃん!このままここにいろよ!」
切羽詰ったようにオレの顔を覗き込んで鷹史は言う。
「なんだよ、それ。オレがどこに行こうがオレの勝手だろ?」
鷹史の自分勝手な言い分にムカついたオレはムッとして言い返す。
言った後に、鷹史は傷ついた表情でオレから一歩身体を離した。
「――なんだよ…そんなとこに行かれたら……時間が、…ッ」
顔を伏せて、ブツブツ鷹史は何か言ってる。
(時間?なんの時間?)
鷹史の言ってる意味が分からなくて、でも単語は聞き取れた。
「時間?お前はまだ高2じゃん、時間ならいっぱいあるだろ?」
その言葉に、鷹史は勢いよく顔を上げて、オレを睨む。
最近、すっかり大人っぽくなった鷹史に睨まれると少しビクついてしまう。
(な、なんだよ――)
オレは自分が言った言葉が拙かったのか、と思い直すが別に酷いことは言ってないと思う。
「雅美が、いないんじゃ…意味がねーんだよ!」
ガッと素早い動きで鷹史の手が俺の腕を掴んだ。
「っ!?」
急のことで驚いたオレは掴まれた腕を見る。
しかし、気を取られた瞬間、そのまま後ろにあったベッドへと倒される。
「――…ッ!!」
ボフッと倒され、鷹史がオレに追い被さるような形になった。
(な、なんだぁ?殴られるのか…!?)
そんなに怒ってるのか?最近ではあまり鷹史の嫌がらせは少なくなったのでこんなに怒る鷹史は久しぶりだった。
「ちょ、おい!そんなに怒んなよ!言わなかったのは悪かったよ」
オレは言いながら、鷹史の肩へと手を乗せて押しのけようとする。
が、すっかり大きくなった鷹史の身体はビクともしなくて、逆にオレの腕を鷹史に取られた。
ジッと見つめる鷹史の目を見た瞬間、訳の分からない感覚を覚えた。
「雅美が、悪い……っ」
オレは言い知れぬ不安に駆られた。
オレの目の前にいる人物は、よく知る幼馴染の顔ではなかった。
この時ほど、鷹史を“男”と感じたことはなかった。
まるでメデューサと出会ったみたいに、オレの身体は硬直した。
ドクン、とオレの心臓が跳ねる。
本能…だろうか、頭の中で警告音が響く。
―――逃げろ!―――
瞬時に頭に浮かんだ、言葉。
しかし、オレの身体は鷹史に押さえつけられていて、身動きが取れない。
「どうせ、気付いてんだろ…?」
フッと、自嘲的な笑みでオレの両腕を片手で頭上で纏められた。
(なんだよ……何に、気付いてるって…?)
鷹史の自嘲的な笑いにオレの抵抗は遅れた。
その代わり、頭の中を鷹史の台詞が占める。
困惑した表情で、鷹史を見てると、どんどん顔が近付いてきた。
(―――え?)
思ったと同時にオレはキスされていた。
オレの目は見開いて、息をすることすら忘れる。
それは一瞬の出来事で、夢かと思うほどの短い時間だった。
離れた鷹史の頬は赤く染まっていて、目は欲情で濡れていた。
ゾクッ…とオレの身体を味わったことのない感覚が突き抜ける。
オレの両腕はまだ拘束されていて、逃げることができない。
「あんたが、俺から逃げるなら……もう容赦しない」
耐えきれないような声で鷹史は言った。
苦しそうで、泣きそうな顔は、見てるこっちが辛い。
(逃げる――?オレが?何から…?)
相変わらず、鷹史の言葉の意味を理解できなくて、困惑するしか出来ないオレ。
今度は、勢いよくキスされた。
「…ふっ……!」
オレの全てを奪うようなキス。
それを証拠にオレの思考は停止した。
ぬるっと、鷹史の舌がオレの口内へと侵入してきた。
(―――!!)
驚いたが、両腕を拘束されて、身体の上を跨がれてる状態じゃ身動き取れなかった。
それでも、オレの出来る限りの抵抗をしようと必死に身体をバタつかせる。
「ぅんんーっ!!」
息苦しさに鼻で息をする。
でも、慣れない行為に上手く息ができない。
こんな、奪われるようなキスは初めてだった―――。
何度も何度も角度を変えてキスをする鷹史。
その度に、オレの舌を舐めて、吸ってくる。
お互いの唾液が混ざりあい、くちゅ…ちゅくり…と卑猥な音が響く。
慣れない音にオレは全身を羞恥で真っ赤に染めた。
はぁ…、と吐息のような声が聞こえたかと思うと、鷹史はいつの間にかオレから離れていた。
思考が困惑していて、上手く脳が働かない。
ボーっと涙が滲んだ目で見つめてると、鷹史はフッと笑った。
「初めてか…?」
どこか嬉しそうな声色に、オレの思考はまだ動かない。
(違う―――)
そう言いたいのに上手く言葉が出ない。
キス自体は初めてじゃない、でもこんな…奪われるような、卑猥なキスは初めてだった。
「…雅美……」
名前を呼ばれて、オレの身体はビクッと強張った。
鷹史はさっきとは打って変わって、ゆっくりした動作でオレの頬、目元、額へと唇を寄せる。
「雅美……」
どこか、愛おしそうな声で呼ばれ、オレの思考はハッとしたように気づいた。
「や、止め……ッ…鷹、史…」
顔を背けて、鷹史のキスから逃げる。
それでも奴は空いてる片手で、オレの顎を掴んで正面へと向きなおす。
また、唇へとキスを落とされる。
もう、何が何だか分からない――。
そう思うのと、どこかでまさか鷹史はオレのこと―――
なんて思う自分がいる。
いや、きっとこれはいつもの嫌がらせだ。
違う、違うとオレは必死に考えを否定する。
気づくと、鷹史はオレの首筋へと唇を這わせていた。
ハッと気づいたのと同時にちゅう、と音を立てて首筋を吸われた。
「――ぁ…っ!」
少し痛く感じ、同時になにをされたのかを理解した。
(キスマーク…?)
自分からすることはあっても、まさか自分がされるなんて―――しかも、男に。
「やっぱり、白い肌の雅美には映えるな…」
嬉しそうに響いた鷹史の台詞に、カッとオレの顔が真っ赤に染まる。
白い肌は、オレのコンプレックスの一つでもあった。
男には珍しい程の白い肌。
頭に血が昇るのが分かる。
「っざけんな!どけ!どけよっ!!」
急に暴れだしたオレに少し驚いたのか、鷹史が拘束してた手の力が緩んだ。
その隙にオレは全力で飛び逃げた。
羞恥と、怒りでオレの目からは涙がボロボロと零れていた。
拭うことも忘れ、とにかくオレは逃げ出した。
鷹史が何故、急にこんなことをしたかなんて考えたくもなかった。
とにかく、逃げて逃げて、逃げることしかその時のオレには思いつかなかった。
高校卒業までは家にいたが、あれ以来オレは鷹史を避け続けた。
家に来ても会わなくて、外で声をかけられても無視して通した。
そして、卒業と共にオレは逃げるように家を出た。
親には誰にも居場所を言わないようにお願いして、荷物も後から送ってもらった。
なるべく早く自立したいから――と言い訳をして親には納得してもらった。
すぐにあれは夢かなんかだと忘れられると思ったが、中々忘れることは出来なかった。
オレは、裏切られたような気分だった。