最悪だ……
それが、今オレの頭を占めてる言葉だった。
なにが最悪かって?
なにもかもだ。あいつが入社してくるなんて…。
まさかの予想外。
そして、想像もしてなかった。
―――岩松鷹史。
なんで、今更……。
忘れようと必死になったオレは一体なんだったんだ?
忘れもしない。高校卒業間近の、あの日―――
オレの中での常識は、鷹史によって粉々に砕かれたのだ。
「はぁ…」
オレ、真田雅美は深いため息を吐きながら、いつもの会社へと入って行く。
オレが働いている会社は、有名なエリート会社でもなく、落ちぶれた赤字会社でもなく、普通の会社だ。
普通の大学を卒業して、就職した会社。
だから、なのか。
油断していたのかもしれない。
まさかの不意打ちにオレは十分打ちのめされた。
「おはよう」
また、深いため息を吐こうとしたオレの肩をポン、と叩いて挨拶してきたのは同期の太田毅(おおた つよし)。
最悪な気分で出社したオレは、笑顔の太田の顔を見て、少し気分が和らいだ。
同じ同期でもある太田は、同時に親友でもあった。
だからもちろん、愛想笑いなんてのはまったくない。
「はよ……、はぁ…」
それでも、ため息は止めることは出来なくて、オレの口から漏れる。
オレの元気がないことに気づいた太田は眉を寄せる。
「なんだ?元気ねーなぁ?」
「まぁ、な」
元気になれる訳がない。
突然のことにオレは昨日ろくに眠ってないのだ。
おかげで、気分も体調も悪い。最悪だ。
「あ、そういやー今度新入社員の歓迎会やるそうだぞ」
太田はオレの心情も知らずにあっさり言ってくれた。
歓迎会!?
いや、他の新入社員は歓迎してもいいが、アイツは…奴だけは歓迎したくない。
てか、出来れば参加したくない……が――
「今年も、やっぱり強制参加……か?」
「ん、まあなー」
そうなのだ。うちの会社で開かれる新入社員歓迎会は社員強制参加。
マジで信じらんねぇよな。
こっちの都合も考えろっての!
「もちろん、お前も参加だろ?」
ニッと笑いながらオレに参加を同意しようとする太田。
今日はお前の笑顔が憎いぞ。
「出来れば、参加したくないな。」
「およ?どうして?去年は速攻で参加するって言ってたのに」
不思議そうに聞き返す太田。
まあ、去年は可愛い新入社員の子とお近づきに~なんて考えてたが、今年はそれどころじゃない。
「なんだなんだ~?遂にお前にも彼女出来たかぁ?」
ニヤついた表情で太田がからかう。
ああ、ほんとにその通りならいいんだがな。
生憎そんな素敵な出来事ではないんだ太田よ。
「そりゃ嫌味か!違う。今回はちょっと、そんな気分じゃねーんだよ」
言い終わると同時にアイツの顔が頭に浮かんで慌てて消し去った。
頭をプルプル振るオレを変に思ったのか、太田は笑みを止めて言う。
「なんだ、マジで何かに悩んでんの?言いたくなったら言えよ?」
真顔で言う太田に、首を縦に振ることで返事をした。
こんな時の太田は無理やり聞いてこない。
オレから打ち明けるまでずっと待ってる。
そして、打ち明けると親身になって聞いてくれる。
太田は本当にいい奴だ、なんて無性に思えてくる。
オレは、会社の営業課に属している。
そこの自分の席へと一直線に進んでいく。
すれ違う社員に挨拶を交わし、自分の席に着こうとした時に―――
「おはようございます」
ああ、おはよう―――と挨拶しようと振り向いたオレの視界にまさかの人物が映った。
(た、鷹史………っ)
オレの息が止まるのが自分でも分かった。
しかし、それは一瞬のことで周りは気付かない。
目の前の男には気づかれただろうか、いや、今はそんなことどうでもいい。
挨拶くらいされることなど百も承知だったが、実際されると頭はパニくる。
「どうかしましたか?」
目の前の男に声を掛けられ、ハッと意識を取り戻した。
あ、危ない危ない。危うく意識が飛ぶとこだった。
「いや、なんでもない。おはよう」
なんでもないように目線を少し逸らして挨拶した。
更に何か言われるかと思い身構えたが、鷹史はそのままオレの横を通って行った。
(………?)
あれ?と思ったが、少しホッとした。
その後、鷹史に声をかけられることはなく、いつも通りの日常だった。
あと残り30分というところで、デスクに向かって書類整理しているオレは声をかけられた。
「真田さん」
上から降ってきた声に思わず、体が強張ったが普通に声を出せた。
「なに?」
目線だけ上に上げる。
案の定、そこには鷹史がいた。
「あの、新入社員の歓迎会なんですが、参加者はこの用紙に記入してくださいとのことです」
そう言って、オレの目の前に一枚の紙をぺラッと見せる。
ああ、例のアレね。
記入も何も強制参加なのに毎年、この用紙への記入は必ずある。
一体なにの意味があるってんだよ。
オレは心の中でこの用紙を作成した誰かに悪態をついた。
「ああ、わかった。そこに置いといて。」
そこ、とデスクの端に指を指して言った。
極力、鷹史の顔は見ないように下の書類を整理しながら言う。
「あの、」
これで、もう何処かに行くだろうと思っていたオレはまた頭上からの声に密かに驚いた。
「…なに?」
整理してた手を止めて、相手の言葉に集中した。
「真田さんは行かれるんですか?歓迎会。」
関係ないだろお前に!と言いたい言葉を飲み込む。
「さあ。でも強制参加だから行くだろうけど…」
どうせ知ってるであろう情報を言って追い払おうとする。
早くどっかに行ってくれよ。
オレの心臓は、さっきから緊張でバクバクいってる。
「あ、そうなんですか?」
ちらっと見た奴の表情がパアッと嬉しそうになった。
(う、嘘臭い―――)
長年も見ていたコイツのこの表情はその後のオレの苦悩を物語っているようだ。
(…にしても、コイツいつになったら自分があの、鷹史だと言うんだ?)
ふと、そんな思いが浮かんだ。
(なんか、コイツに敬語使われると…キモイ。)
違和感のなにものでもない。
それ程、オレの中の鷹史像は傲慢なオレ様だったからだ。
(――それとも……)
いや、まさか。
だが、可能性はある。
もし、もしも…仮にコイツ、鷹史が俺を忘れていたら…?
だったら、この対応でも納得いく。
もしかしたらコイツは本当にオレが、幼馴染の雅美とは知らないのかも。
そんな考えが浮かぶと、ホッとすると同時に苛立ちも芽生える。
オレはこの数年、コイツの存在に悩まされたのに鷹史はあっさり自分を忘れてるなんて。
だが、忘れているとしたら、好都合でもある。
オレはこれから鷹史の存在に怯えなくてもいいのだ。
そう思うと、オレの心は自然に軽くなった。
そうだ。オレは唯自然に振る舞えばいいのだ。
何をこんなに悩んでいたんだオレは。
いつもの調子を少し取り戻したオレはまだ目の前にいる鷹史へと顔を向ける。
瞬間、鷹史が意外そうな顔をしたがオレはそのまま笑顔で答えた。
「じゃあ、これ書いたら次の奴に渡しとくな」
真正面から見た鷹史の顔はもうすっかり大人の男だった。
しばらく無言だった鷹史は「はい」と小さな声で答えてその場から離れた。
オレが堂々としてたら、鷹史だって気付かない。
うん、そうだ。現にまだアイツは気付いてないのだから―――