幼馴染リーマンⅡ1

 


「真田さん、このコピー終わりました。」
作業の途中にオレの頭上から聞こえた声。
この声の主、岩松鷹史――。
こいつはオレの部下であり、6年ぶりに再開した年下の幼馴染でもある。

「ああ、さんきゅ。じゃ、もう上がっていいぞ」
オレは鷹史へと視線を合わせることなく言う。
目線はまだ作業途中のファイルへと向けてる。
だが、まだその場から動かない鷹史はジッとオレを見ているようだった。
鷹史の顔は見えないが、見られてる気配がありありと分かる。
気まずい雰囲気から早く解放されたくて、渋々オレは顔をあげた。
「…なんだ?」
不機嫌さを隠さず、返事をする。
それに気づかないふりをして、鷹史はニコッと笑う。
「真田さんは何時に終わります?」
「あ?オレはまだかかる。」
オレは片眉をクイッと上げて素っ気なく答える。

「飲みに行きません?俺、待ってますから。」
ピタッとオレの手が止まる。
会話だけ聞けば、後輩に懐かれた先輩が飲みに行こうと誘われてるだけの会話だろう。
しかし、酒、というキーワードにオレはかなり反応した。

「行かない。」
オレは速攻で断った。
当たり前だ。なんでコイツと、よりにもよって酒を飲まなきゃ…!!
忘れたとは言わせない。
コイツは酔って、記憶を飛ばしたオレの寝込みを襲ったのだ。
いや、男が男に襲われるなんて間抜けな話だが、事実だ。
「…警戒、してるんですか?」
低く、小さくなった声にビクッと身体を強張らせた。
口調はいつもの“会社の後輩”だが、声のトーンが違った。
(くっそ…こいつ、わざとやって…!)
急の変化にオレは弱い。
慌ててオレは鷹史の顔を見るが、特に変化はなく、後輩の顔だった。

「と、とにかく行かない。お前は帰れ」
少しどもってしまったが、そんなことに構ってられない。
オレはまた顔を伏せて、手でシッシと追い払うような仕草をした。
事実、オレにはまだ仕事があるのだ。
だから帰れない。
ジッとオレを見る目は動かない。
「…あとはまとめるだけでしょう?家で出来ますよ」
その台詞にオレの手はまたもや止まる。
何故か、それは図星だからだ。
(こいつ…なんで知って――)
怪訝そうに鷹史の顔を見ると「ね?」なんてオレの答えを待っている。
どうやら、コイツは無理矢理でもオレを飲みに誘うつもりらしい。
オレがこいつに口で勝てる訳もない。
諦めるしかないのだろうか…。

オレはふぅ、と息を吐いてゆっくり目を閉じた。
「…分かったよ。」
オレは諦めて、頷いた。
あれから、鷹史に襲われることはないが、それでも鷹史の態度はオレを困惑させた。
最近、困ってる。
何にって、こいつの懐きよう。
周りから見れば、後輩が懐いてるようにしか見えない。
いや、もちろんそうなのだ。
懐いてる――のだと思う、しかしオレはこいつのただの先輩ではないのだ。
あの事があったオレに、一体どういうつもりで会社であんな後輩を演じているのかさっぱりだった。
二人きりになれば、暴君よろしく。鷹史のオレ様っぷりは健在だった。
襲われるようなことはないが、鷹史は隙をついてキスをしてくる。
無理やりなキスではなく、チュっと合わせるキス。
オレが、それがキスだと気付く頃には既に終わってる有様。
結局、真っ赤になった俺だけが馬鹿みたいに思えてくる。

「じゃ、行きましょう?」
にこにこと嘘臭い笑顔で、まるで女性をエスコートするような仕草でオレを施す。
ムッとして睨むが、鷹史は素知らぬ顔。
会社と二人きりの時のギャップにオレはげんなりしていた。
(お前は二重人格かよ…)
はぁ、とまた溜息を吐いてプイっと顔を背ける。
これくらいの態度は許されるだろう。
どうせ、毎日振り回されているのはオレだけなんだから。


「ここのお酒旨いんですよ?」
そう言って、メニューを差し出してくる。
オレはきょろきょろと店の、周りを見渡す。
外から見た店は小さな古い居酒屋のイメージだったが、中に入ると雰囲気がガラリと変わっていた。
カウンターと畳に分かれていて、客の入りはいいがうるさい感じはしない。
落ち着いた雰囲気でゆっくり酒が飲めそうでオレは気にいった。
「へぇ…」
思わず、感嘆の声を出す。
いいな。なんて言葉を出す前にお店の人がやって来た。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
まだ若い青年だ。
でも、言葉遣いも丁寧で、物腰も柔らかい。
自然と笑顔になり、オレはとりあえず生中を頼んだ。
フと前にいる鷹史へと視線を移すと、いつの間に見てたのかジッとオレを見つめたいた。
その目が、とても愛おしそうなものでもみるような目で、オレは気恥ずかしくなった。
「ほら、お前は?」
目線を逸らして、メニューを鷹史のほうへと押しつける。
「ああ、俺も同じので。」
慣れたように注文する鷹史はここへ通い慣れてるようだった。
先ほどの視線に心臓がドクドク鳴る。
(なんだよ…、あの目は……)
こいつでもこんな目すんのか…
なんて、どうでもいい事を考える。
気恥ずかしさと気まずさで、オレは口ごもる。
さっきまであんなに店の雰囲気に和んでたオレは温かいタオルで手を拭く。

「気に入ったみたいですね、店の雰囲気」
え、と顔を上げて鷹史を見た。
ニコッと相変わらず男前な顔で微笑まれる。
「気に入ると思ったんですよ」
こんな口調でずっと話されると、いつものオレ様な態度が嘘みたいに思える。
(オレが気に入ると思って、ここへ――?)
なんて、少し嬉しい気持ちになってしまう。
ハッと気がついて、頭をプルプルと振る。
騙されんなオレ!
自分へと喝を入れる。
忘れてない、つい最近の出来事なのだ。
そこで、ふと気付く。
(そういや、こいつ…オレが好きって言ったっけ…?)
考えて、カァっと顔に赤みがかかる。
何を思い出してるんだオレは。
てか、何で赤くなってんだよ!?

百面相して、赤くなったり青くなったりして忙しいオレを鷹史はジッと見ている。
こいつの目は、力がありすぎる。
ジッと見られるときっと、誰もが動けなくなる。
それほど威力があるのだ。鷹史の眼光には。
「雅美……こうして、二人で飲むのは初めてだな」
後輩口調ではない鷹史だが、雰囲気はどこか柔らかい。
いつものオレ様な態度だと反抗できるが、こうも穏やかに話しかけられると素直に返事をしてしまう。
「まぁ、な」
そこで、先程の店員が生中二つを持って来た。
鷹史はメニューを開いて、二三注文をしている。
オレもついでに「冷奴ひとつ」と店員に注文した。
注文を繰り返して、持ち場へと店員が戻って行った。
「冷奴なんだ。雅美は肉とか頼むと思ってたけど」
どこかフッと笑う仕草に、オレは何となく恥ずかしくなった。
「いいだろ、好きなんだから。豆腐」
昔から脂っこいものよりあっさりしてるものの方が好きだった。
別に焼き鳥とかを食べないわけじゃないけど。
「…そっか。」
一言呟いて、そのまま鷹史はビールに口つけた。
オレも真似するようにビールを一口含んだ。
仕事疲れはやっぱ、飲むと落ち着くかもしれない。
少し、疲れが和らいだ気がした。


しばらくの無言のあと、鷹史が呟くように言う。
「雅美、嫌いか?」
哀願するような目で聞かれた。
(――え、なにが?)
声に出さなかったがオレの考えを汲み取ったのか、鷹史が更に続けた。
「俺のこと、嫌いか?」
自信に満ちた表情でも声でもなく、オレの目の前にいる鷹史は捨てられそうな子犬の顔をしてた。
嘘でもなんでも嫌いだ!と言えたらいいのに。
でも、オレは思わず口を噤む。
(嫌いか?と言われると……嫌い、じゃない)
そうなのだ。オレは鷹史を嫌ってはない。
どちらかと言うと、“苦手”なのだ。
しかし、ここでどう言えばこの先のオレにとっていいかなんて分かるはずもない。
ジッと切なそうにオレを見つめる目を直視出来ない。

「雅美――」
名前を呼ばれて、オレの心臓が一瞬跳ねた。
「嫌い、じゃない…」
思わずオレは呟いていた。
ハッとして両手で口を押えるが、奴の耳にはしっかり聞こえていたようだ。
少し目を見開いて驚いた様子をしている。
しかし、すぐに口の端を上げてニヤニヤ笑い顔になる。
「そうか。嫌いじゃないんだな?」
再確認すらようにオレへと念を押す。
(――くそ、調子に乗りやがって…)
チッと舌打ちしたい気分でいっぱいだ。
「――るせぇ…、黙って食えよ」
いつの間にか頼んだ品がテーブルに並んでいた。
オレが頼んだ冷奴もいつの間にか目の前に置いてあった。
オレは醤油へと手を伸ばし、少しだけかけた。
ネギを沢山かけてガツガツと食べる。
オレの顔は今赤く染まってる。
くそ、と毒づいてビールを飲む。

チラッと前に座って砂肝を食べてる奴を見ると、まだ可笑しいのか口の端が上がってる。
「おい、いつまでニヤついてる阿呆」
不満そうなオレの表情とは打って変って、鷹史の表情は至極満足そうだ。
(馬鹿にしやがって―――)
今度は舌打ちを、相手に聞こえるようにした。
気分は悪いが、料理は文句なしで旨い。
こんなにいい店が近くにあったなんて、今まで勿体無いことをした。
「いいだろ別に。雅美が俺を嫌ってないようだから嬉しいんだ」
ニッと笑い、だろう?なんて目でオレを見る。
確かに、嫌いじゃないが……好きでもないんだぞ!
言いたい言葉を何とか呑み込み、歯を食いしばる。
「雅美――」
また、鷹史はいつもと違う声色でオレの名前を呼んだ。
オレは視線を冷奴から逸らさず、んー、と生返事した。

「―――好きだ。」

はっきりと耳にその言葉が届くのと、オレの動きが止まったのは同時だった。
声を潜めるどころか、普通の声の音にオレは驚き、鷹史の顔を見た。
しかし、鷹史は笑ってもなく、真剣そのものの顔つきでいた。
オレは焦って周りを見回したが、特に気付いてる様子の人はいなくて、とりあえずホッとする。
そのまま鷹史を睨むように小声で言う。
「バカッ!周りに聞こえたらどーすんだよ…!」
焦ってるオレとは裏腹に、鷹史は堂々としている。
(何で言われたオレが焦んなきゃなんねーの?)
なんとなく、理不尽に思えて仕方がない。
「周りなんか聞いてねーよ」
しれっと言う鷹史は周りなんか興味ないようだ。
(そーいう問題じゃないだろ!)
と叫びたいが、そこをグッと我慢する。